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栄光を掴んだ先輩たち
世界に羽ばたき夢を実現させた素敵な先輩たち
大学生活から夢を見つけ、実現させる。 至学館大学はそんな皆さんを応援します。
レスリング部 日本から、そして世界へ
2008 北京五輪女子 レスリング 輝いた涙と笑顔 そして3つの金・銀メダル!!
| 55kg級 | 吉田沙保里 (現 ALSOK綜合警備保障) | 金 メダル |
|---|---|---|
| 63kg級 | 伊調 馨 (現 高等学校教諭(保健体育)[青森県]) | 金 メダル |
| 48kg級 | 伊調 千春 (現 ALSOK綜合警備保障) | 銀 メダル |
8月22日、予選。3選手はいずれも危なげない試合で準々決勝まで順調に勝ち進み、翌日の準決勝にコマを進めた。 55キロ級、吉田沙保里選手は、1回戦からすべて2−0で勝ち上がり、危なげなく決勝へとコマを進め、決勝では、地元中国の許莉選手に、第2ピリオドで フォールを決め快勝。 2連覇が決まったその瞬間、吉田選手からは、今までの努力と苦労が大粒の涙になって流れ落ちました。勝つことが当たり前のように思われながらも、ワールド カップで、まさかの敗戦を喫し、練習を積み重ねることで、不安を押しのけてきた吉田選手。早くも3連覇を見据え、中女のマットで汗を流す吉田選手には、 今、金メダリストの誇りと自信がみなぎったアテネのときとはまた違う輝きが放たれています。ロンドンでも必ず、3つ目の金メダルを持って帰ってきてくれる ことを約束してくれました。
63キロ級、伊調馨選手は、姉千春選手の敗戦を目前に、夢を見失いかけ、戦うことさえもあきらめようとしていました。それでも、姉千春選手の「馨は金メダルを獲って」の一言に奮起し、「レスリングでは0点だったけど気持ちでは100点の試合だった。」本人がそう振り返る17日の試合はすべて、今までの完璧なレスリングではありませんでした。
それでも、それでも勝ち獲った金メダル。4年前「二人で勝てたらいいな。」だったアテネオリンピック。今回は「どうしても二人で勝ちたい…。」馨選手の力の半分はいつも千春選手の存在。そして、千春選手の苦労を一番近くで見てきたのも馨選手。全ての試合で苦戦を強いられ、決勝では準決勝で痛めた足が全く動かず、2ピリオドともボールピックアップまでもつれ込む激戦。最後は、馨選手の気持ち勝ちでした。金メダルが決まった瞬間、馨選手は顔を上げることができませんでした。表彰台で、初めてカオリンスマイルが輝き、姉妹の夢が叶えられた瞬間でした。
48キロ級、伊調千春選手は、思わぬ環境の違いに厳しい減量を強いられ、フラフラになりながらも計量をパスしました。「オリンピックの銀でも嬉しくない。」そう言って涙さえも見せなかった4年前のアテネオリンピック。今回は、2回戦から2006年の世界チャンピオン、地元中国選手と対戦、3回戦(準決勝)ではアテネオリンピックで負けたライバル、ウクライナのメルレニと対戦するなど「死のブロック」といわれた組み合わせに入りました。準決勝、ウクライナ戦では、誰もが千春選手の敗戦を覚悟したその瞬間、終了のブザーとともに腕を高々と挙げていたのは千春選手でした。ラスト3秒、劇的なフォール勝ちを収め、千春選手の今までのレスリング人生がそのまま表された試合でした。決勝ではカナダのキャロルヒュンに敗戦。それでも千春選手は、銀メダルを大事そうに見つめ、そして応援席に掲げ、最高の笑顔でマットを下りました。輝いていた今までのレスリング人生。これが千春選手の生き様です。
多くの人の感動をよんだ今回の北京オリンピック。中京女子大学で過ごした毎日が糧となり、今も3選手は戦い続けることが出来ています。夢はまだまだ続きます。
吉田 沙保里さん(平成16年3月 健康科学部 健康スポーツ科学科卒業)
2005〜2006 レスリング世界選手権金メダル
2004 アテネオリンピック女子レスリング55kg級 金メダル
2002〜2004 全日本レスリング選手権大会55kg級 優勝
2002〜2003 ジャパンクイーンズカップ55kg級 優勝
2002 アジア大会女子レスリング55kg級 金メダル
2003〜2004 レスリングワールドカップ55kg級 優勝(個人)
1998〜2003 レスリング世界選手権大会55kg級 金メダル
(但し、1998〜1999はカデット、2000〜2001はジュニア)
伊調 馨さん(平成18年3月 健康科学部 健康スポーツ科学科卒業)
2005〜2006 レスリング世界選手権金メダル
2004 アテネオリンピック女子レスリング63kg級 金メダル
2002〜2004 全日本レスリング選手権大会63kg級 優勝
2000〜2003 ジャパンクイーンズカップ63kg級 優勝
2002 アジア大会女子レスリング63kg級 銀メダル
2003〜2004 レスリングワールドカップ63kg級 優勝(個人)
2002〜2003 レスリング世界選手権大会63kg級 金メダル
伊調 千春さん(平成17年3月 健康科学部 健康スポーツ科学科卒業)
2006 レスリング世界選手権金メダル
2004 アテネオリンピック女子レスリング48kg級 銀メダル
2002〜2003 全日本レスリング選手権大会51・48kg級 優勝
2002 ジャパンクイーンズカップ51kg級 優勝
2000〜2001 レスリング世界選手権大会ジュニア50kg級 金メダル
2003 レスリング世界選手権大会51kg級 金メダル
陸上競技部
女子走り高跳び日本記録保持者(1M96)今井 美希さん【至学館大学 健康科学研究所 研究員】
(平成10年3月 体育学部 体育学科卒業)【現 健康科学部 健康スポーツ科学科】
上競技部員
東海学生選手権 総合優勝
西日本学生陸上競技対校選手権 総合3位
日本学生陸上 個人優勝
愛知陸上競技選手権 個人優勝
日本ジュニア陸上選手権 個人優勝
シドニー五輪日本代表選手の今井美希さん。オリンピックの走高跳で日本人として初めて入賞した偉大な先輩「佐藤恵さん」の記録を1cm上回る1m96。日本記録の更新はなんと14年ぶりのこと。頭上20cm以上を軽々と越える。現在は、健康科学研究所 研究員。趣味は「盆栽」という彼女は大府市内に在住。
在学生の皆さんへ。そして、まだ見ぬ後輩達へ。
中京女子大学(現 至学館大学)へ入学した当初、在学中、私は何がしたいのかがはっきりしていました。記録として1M90台をマークすること、成績として全日本インカレで優勝すること、このふたつの目標があったからこそ、4年間の学生生活は毎日が非常に充実していました。人は、「あっという間に過ぎた大学生活」とよく表現されますが、私は「非常に長く感じた4年間」でした。それは、毎日何となく過ごしてしまうのではなく、常に自己の目標を思い描き、1日1日の大切さを強く意識したからではないでしょうか。そして、在学中の目標であった、1M90台のクリアと、全日本インカレ3連覇という思い通りの成績を残すことができたのも、この1日1日を常に意識して過ごした結果だと信じています。
さらに、この大学時代の良き経験が第1ステップとなり、卒業後、次なる目標であったシドニー五輪出場と日本新記録樹立が実現できました。
至学館大学の在学生や、現在高校生の方々に敢えてアドバイスするならば、「自分自身の目的を明確に持ち、目標を具体的に定めること」が自己成長においては非常に大切だということです。大学時代は、子供と大人の狭間というちょっと中途半端な時期ではありますが、人生にとって大変重要な期間です。社会に出てからでは遅いことも、今なら思いっ切りできます。社会に出てから後悔しないためにも、なるべく早く自身の目標を見つけ、その目標を達成するための「今」を精一杯過ごしてください。
WATER WORLD代表

近藤 加奈恵さん(平成5年3月 短期大学部 体育学科卒業卒業)
数々のスポーツを経験し、シンクロナイズドスイミングでは、国体・日本選手権に出場。コーチ、審判員となる。その後アクアエクササイズと出会い単 身渡米。1996年 より5年連続ワールドチャンピオン。普及活動他、簡単エクササイズ等の紹介。雑誌・テレビ・ラジオ等出演。
目標があれば輝ける。
目の前のチャンスを見逃さず輝く人生であって欲しい。
私は、中京女子大学 短期大学部 体育学科(現 至学館大学 短期大学部 体育学科)を卒業し、現在は本学で非常勤講師をやらせて頂いております。その他、WATER WORLDの代表として、ウォーターフィットネスの指導者育成や普及活動などをしています。
学生時代、シンクロナイズドスイミングをしていましたが、私が始めたのは他の選手に比べ随分遅く、国体を夢見た私は毎日の厳しい練習以外にも自己流ト レーニングを重ね、ついに高校2年の夏、念願の国体出場となり、その後はもっと強くなるために、自己流のトレーニングではなく、正しい知識を学びたいと、短期大学部 体育学科に入学し、2年の夏に選手を引退しました。その後コーチをしていましたが、卒業を目前に自分が何をしたいのか分からず、今までしてきた事を生かせないかと思っていた時、アクアビクスというものがある事を知り、本場で学びたいという一心で単身渡米。誰一人助けてくれる人などいない所で信じられるものは自分だけ・・・英語が何より苦手だったこと、私は自分でなんとかしなければならないと始めはジェスチャーで伝えていましたが、伝えたい気持ちが相手にも伝わったのか、周りの人に助けられそこで出会った一人の方の誘いでチャンピオンシップに出場。そして優勝。この時初めて感じたことは、ここに来ている自分、今まで好きなことをやらせてもらいそれを見守って応援し、支えてくれた両親への感謝の気持ちと目標を持ってそれに向かって生きていくことでした。
その後も自分へのテストのつもりでチャンピオンシップへは挑戦し続け、選手部門で3年、指導者部門で2年、5年連続のワールドチャンピオンとなり、現在も日本で普及活動を続け、ようやく今、生涯スポーツとして注目を浴びるまでに定着してきました。
この仕事を初めて、多くの方と出会い、お話をして思うことは、大学で学んだ事は大切なことばかりだったということ、そしてどんなことも失敗を恐れず、後悔するなら挑戦すること、もしそこで失敗してもそこで学ぶことで更にステップアップ出来るということ。目標に向かっている時は輝いているということでした。帰国後、全国を周りこの普及活動をしてきて、人生は自分探しの旅だと私は思いました。学生の皆さんも目標を持ち、輝くと同時にいろいろな事に挑戦し、まだ知らない自分を早く見つけてもらいたいと思います。
目の前の岩石は磨けば輝くダイアかもしれない。目の前にあるチャンスを見逃すことなく輝く人生で頑張ってもらいたいです。


