【授業の時間】
至学館高等学校
2年 柊真由
先生の話声は宙を舞い
カタカタと鳴る机とイスの動く音
好き勝手にメロディーを奏ではじめた生徒の話声は
教師の声よりもずっと、ずっしりと教室内を走りまわる
先生の声を聞きながら
ハナシに花を咲かせる生徒を静かに見回し
教卓の前にいる教師の権力の無いことよ
オロオロとしながら教科書のページをめくり、板書する
そんな教師を見ながらも
ただ淡々と授業をこなす
優等生のふりをして
脇目もふらず、教科書にアンダーラインを引きながら
どこからか飛び込んできた生徒の言葉に
教室中が大爆笑
じっとガマンをしてみても
頭の中でエコーする、その言葉
「くすり」
もれてしまった笑い声は
ウルサイ教室に消えてゆく
なにごともなかったようにノートをとれば
ほらもと通り
ある日の午後の授業中
【私にとって書くということとは】
至学館高等学校
1年 神楽
私にとって書くこととは。
その時その時の気分をハッキリとじゃないけど、他人にもわかるように表すこと。
うれしかったり、楽しかったりしたら、その気分をわかってもらいたくて書く。悲しかったり、苦しかったりしたら、わかってもらえなくてもいいから書く・・・、ただのグチ吐きになっちゃうかもしれないけど・・・。
ただの自己満足にすぎないけれど、書くことによって精神安定にもなるから書いている・・・、じゃなくて何だろうなぁ。
私にとっての精神安定が、たまたま“書くこと”だったのかもしれない。他の人は音楽を聞くことだったり、本を読むことだったり、誰かとしゃべることだったりするものが、本当に、たまたま、私は“書くこと”だっただけで。
もしかしたら音楽を聞くことだったかもしれない、本を読むことだったかもしれない、誰かとしゃべることだったかもしれない、でも、“書く”という行為を見つけてしまったから。そして、それが自分に一番合っていると気付いたから。
だから書いているんだと思う。でも、それは強要されているんじゃなくて、私の意志で書きたい時に、書きたいものを書いている。
ダメだなぁ、私は物事に理由をつけられない人間かもしれない。
書いていて段々違う気がしてきた・・・。