昭和62年(1987)、地域と密着した実践的公開講座の提供やグローバルな視野を持った研究発表活動を行っていきたいという思いから創設されました。
 当初、名称は、「中京女子大学コミュニケーション研究所」でした。
 初代所長は、NHK記者を経て論説委員を務めた伊達宗克でした。

 客員教授としては、各界で活躍をする井出重昭(昭和女子大学教授)、今田忠(元阪神・淡路コミュニティ基金代表)、木村太郎(ジャーナリスト)、野中ともよ(ジャーナリスト)、渡邉健一(放送作家)、鬼塚喜八郎(アシックス代表取締役会長)らが迎えられました。
 昭和63年(1988)、伊達宗克は享年60歳にして帰らぬ人となりました。伊達宗克が中京女子大学に過ごした時間は僅かでありましたが、限りない勇気や希望を、後につづく学園の人びとに残して行きました。これを機に中京女子大学は研究所の名称を、「伊達コミュニケーション研究所」と改めました。
 伊達宗克の後任として、学長谷岡郁子が研究所の所長代行に就任しましたが、平成2年(1990)には、本学の教授寺本宏治が所長に就任いたしました。
 そして、学園創立100周年を迎える平成17年(2005)、本学の教授飯本雄二が所長として、いま一度、原点に立ち返り、多種多様なコミュニケーション能力の重要性を問い直し、広域に呼びかけ、呼びかけられるよう活動をしていきたいと努めております。
  現在、常任メンバーは、バイオメカニクスを専攻する所長飯本雄二教授、植物病理学をもとに環境を科学する研究所主任米谷富雄教授、水泳水中運動が専門の高橋淳一郎助教授、スポーツ心理学者の氏原隆助教授、『学校法人中京女子大学 百年史』「世代を結ぶ肩車」を執筆した平野久美子研究員で構成されています。
 今後、伊達コミュニケーション研究所は、心も頭もやわらかく、人と人を繋ぐ活発な機関を目指しています。そして、法人付置の研究機関として、本学園に開設されている他の研究機関(健康科学研究所、アジア文化研究所、こども文化研究所)や各種設置校の情報も含め、学内・学外の橋渡し役としての機能を充実させて行こうとしています。