夢追人

三線の唄者

文化

知花 時野 さん ちばな ときの
平成元年体育学部体育学科卒 / 沖縄県出身
三線の唄者

幼少期

子供の頃、民謡はオジー、オバーがやるもんだと思っていて全く興味がありませんでしたが、

歌謡曲など歌うことは好きな子供だった。

学生時代

中学生に始めたソフトボールは姉に進められるがままにはじめる。全国大会にも出場する。

体育教員免許取得とソフトボールをするために中京女子大学(現:至学館大学)に進学。

在学中はソフトボールの部活に明け暮れる毎日。3年の時に怪我でマネージャーに変わる。

就職 結婚 出産

卒業後の仕事はスポーツクラブに就職するが、結婚を機に退職。

また主婦をしながら高校の非常勤講師をするが妊娠中に卵巣嚢腫を発症し手術をする事になり非常勤講師を辞める。

出産後は子育てに没頭し、おやつ等も手作りしたり、とにかく良き母親像!を描こうとしていたかもしれない。

次男との出会い

次男がダウン症で生まれ心臓の手術や急性骨髄性白血病に罹患するなど、当時は大変さを感じる間もなく必死だったような気がします。

自分の傲慢だったような考えやA型の典型的な性格から楽観的に変わっいったのはそれから。くよくよしても始まらない‼️多少手を抜いても大丈夫❗と思えるようになった。

次男にリトミックをさせたくて、教室を探すが障害児という理由で断られ、それならば自分で学べばいいと、リトミックセンターに通い学ぶ。

体育教師とリトミックの資格を活かし児童センターでの親子教室、

発達支援センターでリトミック指導幼児体操指導を掛け持ちしていた時はがむしゃらだったような気がします。

三線との出会い

40歳で故郷の文化でもある三線を始め、その虜になる。間もなくして

三線を通じて知り合った知人にライヴに参加しないかと誘われ、月に2回ほどライヴ活動を始める。

音楽情報誌、テレビ、ラジオ、イベントなどにも出演。

43歳の頃、ライヴのお客様から三線を教えて欲しいという人がいて指導も始める。生徒が増えるにつれ、幼児体操や幼児教室の指導には手が回らなくなり、三線一本に絞る。

そんなこんなで、三線を始めてから有り得ないスピードで今に至る。

人が喜んでる姿を見る事にやりがいを感じてます。

これまで色んな職種につきましたが、どれ1つとして無駄な事は無い、通ずる物があるのです。

そしてまた言霊の重要性や、思考次第で状況の変わっていく事に気付きました。

ネガティブな考えが悪いとは言いませんが、そう考えたりするとそのようになるし、

ポジティブな考え方などを持ち言葉にし行動することで、そのようになっていく事を実感しました。

学生さんには

色々とチャレンジして欲しいと思います。例え失敗してもそれは無駄ではありません。

いくつになっても夢を持ち続けて

それに向かって行動している人は

エネルギーにも満ち溢れ輝いて見えるものです。

私は自分の為に出すエネルギーよりも、人の為に出すエネルギーのほうが大きく勢いもあり、勇気も出ます。

人が喜んでる姿を見る事にやりがいを感じてます。

また新たな楽器「琉球かれん」を習得中で、三線とともに楽器を奏でる事の楽しさを伝えていきたいと思います。

自分自身も楽しみながら人を楽しませる仕事をこれからも続けていきたい。

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