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金田 紋佳 さん かなだ あやか
令和2年度大学院健康科学研究科卒 / 長野県出身 愛知県在住
観ている人を魅了する、唯一無二の選手になりたい!

🍀 子ども時代 ~チャレンジ精神旺盛、とことんやる!~

長野県の豊丘村で、3人兄弟の一番上の長女として育ちました。小学校時代は、和太鼓・バドミントン・軟式野球・金管バンドをやっていました。好きなこと、興味のあることにどんどんチャレンジしていました。この頃から「やり始めたら、とことんやる!」という感じだったと思います。

中学校時代は、吹奏楽部でトランペットを担当していました。中学3年生の時は部長も務め、全国大会を目指し日々練習に取り組む毎日でした。目標としていた大会での全国大会出場は叶いませんでしたが、別の大会での全国大会出場を叶え、東京で演奏する経験もしました。この時に、目標に向かって「本気で」「全力で」取り組むことの大切さ、何かを達成させるには本気でやらないと叶えられないということを学びました。

高校時代は、ソフトボール部に所属していました。2年時には「県ベスト4」を経験しました。ソフトボール部へは途中入部であったため、自分自身遅れを感じてもいましたが、3年時に副キャプテンになったり、試合でも結果を出せるようになり自信もついてきました。この時、ソフトボール部のコーチに保健体育の教員を薦められた事が教員を目指すきっかけになりました。

 

3歳の誕生日

3歳の誕生日

🍀 至学館大学への進学

至学館大学 健康スポーツ科学科へ入学し、親元を離れて一人暮らしを始めました。

オープンキャンパスに行った際、学生がきちんと挨拶をしている姿を見て「この大学がいい!」と感じました。在学生の皆さんは、見学に来ている学生に対してはもちろんのこと、大学の先生方にもきちんと挨拶をしていました。女子硬式野球部があったことや、教員免許が取得できる事もありましたが、一番の決め手は「あいさつ」だったと思います!至学館大学以外にもスポーツ系学部のある大学のオープンキャンパスに行きましたが、すれ違う学生が必ず挨拶をしてくれたのは至学館大学だけだったように思います。

その後、大学では、女子硬式野球部に所属しながら、教員免許状・健康運動指導士・JPSUスポーツトレーナーといった資格を取得しました。その一方、大学生活は、自分に劣等感を抱きながらも必死に踏ん張った4年間でもありました。

🍀 硬式野球がやりたい!念願の女子硬式野球部に入部

中・高時代は運動が得意で、高校の部活でも試合に出場していたので、硬式野球は初めてだけどある程度はできるだろうと、それなりの自信を持って念願の女子硬式野球部に入部しました。

かし、周りの同期の選手を見ると、中・高時代から硬式野球をしていた選手や推薦入学の選手、高校時代に強豪校ソフトボール部だった選手ばかりでした。また、同期は、春休みから練習に参加している選手が多く、既に雰囲気が出来上がっているのを感じました。それに加えて、一般入試は私だけでした。

自信を持って入部しましたが、周りのレベルを見て、入部初日から「全然ダメかも…」「自分はそこまで出来るわけではないかも」とすでに劣等感を感じてスタートしました。

高3 県大会出場(中央)

高3 県大会出場(中央)

🍀 野球か勉強(教職)かの選択

やがて教職関連の授業が本格的になっていきました。「教員になるために教職1本に絞ったほうがいいのだろうか?」「このまま野球を続けていていいのだろうか?」公式戦になかなか出れていなかったこともあり、本当にこのまま野球を続けていていいのか?という悩みがでてきました。しかし、辞めることを決めきれずにいました。とにかく、目の前のことに全力で取り組みました。とにかく毎日必死に…振り落とされないように、しがみつくかの様に必死で食らいついく日々が続きました。

今思えば、野球を辞めて教職に絞る選択をする勇気や覚悟がなかったとも思えるし、とにかく目の前にきた物事、目の前にある頑張れる事に全力で取り組むしか当時の自分にはキャパがなかったと思います。

入部当初同期たちと(1列目の一番左)

入部当初同期たちと(1列目の一番左)

そうやって、野球も勉強も「取り敢えず目の前のことに全力で取り組む」ということを続けた結果、いつの間にか自分の中で「野球を続ける」という答えが出ていました。そして、前向きな気持ちで「頑張っていこう」「もっと上手くなりたい」という意志に変わっていき、「どうしたらもっと上手くなれるのか?」という目標が自ずと出てきたように思います。

🍀 自分を変えるきっかけ 膝の怪我

前向きに野球に向き合えるようになり、もうすぐ3年生のシーズンが始まるという矢先に、左膝の靭帯を損傷してしまいました。
怪我をした時は、痛みよりも「なぜ、今?こんなにオフシーズン頑張ってきたのに…」という思いから自然と涙が溢れたのを覚えています。
しかし、この怪我が大きく自分を成長させてくれる事になりました。

リハビリをする中で、「どう動かしたら力が入るのか?」「正しいフォームとは?」など、とにかく1つ1つの動作を意識しながら、毎日ひたすら繰り返しました。その結果、自分の身体の事が前よりも分かるようになっていきました。

怪我直後の駅伝大会(2列目左から2列目)

怪我直後の駅伝大会(2列目左から2列目)

これまで分からなかった事や見えなかった事が分かるように見えるようになり、自分自身に自信が持てるようになっていきました。怪我をしたことで、自分自身を強くすることができました。この怪我が、自分を大きく変えるきっかけになったと思います。

🍀 4年間公式戦でのスタメン出場なし 複雑な感情のまま引退

公式戦に初めて出場できたのは3年の夏。
4年間を通して、公式戦にスタメンで出場したことは1度もありませんでした。高い宿泊費を払って大会に出場しても、バット引きやノックの補助、声出し、ベンチでの応援。「
自分は何をしにここに来ているのだろう…」と考えてしまうこともありました。みんなが「優勝する!この試合に勝ちたい!」といって試合に挑んでいる中、そういった思いでベンチにいる自分自身も嫌いでした。

4年生の最後の大会は予選で敗退。
自分自身ヒットは打てましたが、最後、中途半端な終わり方で、煮え切らない思いで野球部を引退しました。しかし、ここでこのまま終わったら「自分はだめだ」という印を自分自身に付けてしまうように感じました。

それに、自分はまだできる!現役の選手としてまだやりたい!このままダメな自分で終わるのは嫌だ!もっと自分には何かできるはず!そういった思いが強くありました。そんな時に出会ったのが「クリケット」です。

引退試合(1列目右から1番目)

引退試合(1列目右から1番目)

🍀 このままでは終わらせない!新たな挑戦 ~クリケット競技への転身~

野球部を引退後、競技を続けたいという思いが強くありました。新しく何かを始めたいと思い、野球の経験を生かして何か出来ないかと探していました。草野球や昔やっていたバドミントンなども探しましたが、しっくりくるものは見つかりませんでした。そんな時にフッと「クリケット」という競技を思い出しました。

大学の講義がきっかけで「クリケット」という競技の名前は知っていましたが、周りにクリケットをやっている人はいませんでした。野球をやっていたから野球という考え方ではなく、新しい分野にチャレンジすることに面白さがあるなと考えました。

固定概念に捉われずに新たなことにチャレンジしたい!そう思い、関西のクリケット協会のサイトで女子チームを見つけ、協会にクリケットを体験したいと連絡をしたところ、子ども向けの体験教室があるとのことで参加してみました。
ある程度はやれると思っていましたが実際に体験すると、バットを振っても全然ボールに当りませんでした。「なんでこんなに当たらないんだ?」と思いながらも、当たらないのに、できないのに、なぜか凄く楽しかったです。そして、体験会だけではなく、本物のクリケットをやってみたい!と思うようになりました。

そこから本格的にクリケットをやろうと考え、関東の社会人チームの練習に参加する様になりました。とにかく、うまくなりたい!と夢中で練習し、できないことすら楽しいと思えました。そして、大学院に進学することを決め、競技に専念できる環境をつくりました。

ボーリング(投球)

ボーリング(投球)

バッティング

バッティング

オリジナルのバッティングフォーム

オリジナルのバッティングフォーム

🍀 日本代表 掴んだ栄光 人生の幅が広がった!

東京都に拠点を置くクリケットの社会人クラブチーム「アドレ・クリケットクラブ」に所属しました。時間さえあれば関東に行って、男子の選手とも一緒に練習をし、プレーしていく中でこつをつかんでいきました。

競技を始めて半年ほどたったころ、今のチーム関係者に勧められ、日本代表の選考会に挑戦しました。
2019年度クリケット女子日本代表強化選手団」に選出され、その年の5月にバヌアツで開催された「ICC女子T20ワールドカップ東アジア太平洋予選大会」の日本代表チームのメンバーにも選ばれました。とにかく、クリケットが楽しくてもっと上手くなりたいという思いで、夢中で練習していました。
日本代表に選ばれた時は本当に嬉しく、誇らしい気持ちでした。日本代表選手として試合に出場したことは、胸を張れた瞬間でもありました。

また、2020年1月にオーストラリアで開催された「2020 Toyota Australia Criket Country Championship」に東アジア太平洋地域のメンバーの一人に選出され大会に出場し、優勝することができました。

2020年 東アジア太平洋地域選抜チーム(2列目左側4番目) 

2020年 東アジア太平洋地域選抜チーム(2列目左側4番目) 

2019年 東アジアカップin韓国(3列目左側2番目)

2019年 東アジアカップin韓国(3列目左側2番目)

試合で海外を訪れたり、海外の選手とプレーすることで、「こんな世界があるんだ!」と一気に視野が広がりました。
クリケットを始め日本代表になった当初、周囲からは、「そんなに簡単になれるんだ」と言われたこともありました。「野球で活躍出来なかったから競技を変えたのか....」とも思われていたかもしれません。しかし、私は、「この世界で戦いたい!勝負してみたい!」そう思って、一歩踏み出しました。

一歩踏み出す勇気を出して挑戦した事で、これまで見ることの出来なかった世界に出会うことができました。自身にとって未知のスポーツであったクリケットを新たに始めたことで、自分自身の人生の幅、世界が広がったのを感じました。

2022年 東アジアカップin大阪(1列目左側3番目)

2022年 東アジアカップin大阪(1列目左側3番目)

🍀 仕事と競技の両立と意外な接点 ~何かに本気で取り組んだ先には、想像もできない未来が待っている~

現在は、放課後等ディサービス「フルースマイル株式会社」でアスリート社員として働き、障がいのある子どもたちと向き合っています。
主に午前中に大学で練習をし、午後から仕事をする生活です。平日は愛知県内での練習が中心ですが、試合や合宿がある時には片道3時間、長いときは6時間をかけて関東へ遠征しています。費用の面では大変ですが、競技に打ち込むために、会社にも協力していただいています。職場の皆さんも応援してくださり、競技に集中できる環境でやらせていただいています。

放課後等ディサービス フリースマイル「北山町」

放課後等ディサービス フリースマイル「北山町」

仕事のやりがいは、子どもたちの成長を感じられることです。
子どもたちは、日々成長しています。出来なかった事が出来るようになっていく、そんな成長を間近でみる事が出来るのがこの仕事のやりがいだと思います。1週間前、1カ月前にはできなかったことでも、今は当たり前のようにできるようになったりします。そして、また、新たな目標や課題が出てきます。目の前に
ある小さな事を、一生懸命に取り組むことで、子ども達は成長し、また、次のレベルへと新たな目標が出てきます。

競技でも出来ることが増えていくことで、次の課題や目標が新たに出てきます。できるようになるまで、目の前の課題に一生懸命に取り組む。そして、次の課題・目標に辿り着く。
そうやって目の前の事に全力で取り組むことで、これまで出来なかったことや見えなかった世界が見えてきます。

「何かに本気で取り組んだ先には、想像も出来ない未来が待っている。」
これは、仕事も競技でも全てのことに共通しているのではないかと感じています。結果として出ることもあれば、自分自身の成長、という形で現れることもあります。何かに本気で取り組むということは、前の自分よりも必ず成長させてくれます。

🍀 今ある環境の中でどう頑張るか、それが大事!

これまで、環境を選択するタイミングは何度もありました。高校受験、大学受験、大学卒業後の進路、就職場所・・・クリケットを続けるなかでも、練習拠点をどこに置くのか、選択を迫られてきました。関東にはクリケット選手が多く住んでいてクリケットの専用グランドもあります。そんな中で私は、至学館大学を練習拠点に選びました。なぜだと思いますか?それは、環境はあくまで、ただの環境に過ぎないからです。

クリケットを始めた大学院の頃から、これまでもずっと一人で愛知県で競技を続けてきました。「一人だから上手くなれない」というわけではない、ということはよく分かっていました。

「環境が整っている所に行けば上手くなれる。」決してそうではなく、自分自身がどう頑張ろうとするか、どういう意識で何をやろうとするのかが一番大切であって、本人の意識次第でいくらでも成長できるし、自分自身にとって意味あるものに変えていけるということです。
「今ある環境でどう頑張るか」でいくらでも変われます。

いつからでも、いくらでも意味のある時間、価値ある時間に変えられると思います。もちろんより良い環境は求めていきます。

ですがまずは、今ある環境で頑張ることが大切です。環境はあくまでも環境でしかありません。
よりよい環境を得るために、もっともっと上のレベルにいくために、
今置かれてる環境でどれだけ頑張れるか」これがこの先の未来に繋がっています。
これは私自身が今も大切にしていることの1つです。

練習風景

練習風景

🍀 観ている人を魅了する唯一無二の選手になりたい!

2026年に愛知県でアジア競技大会が開催されます。日本代表として出場し、クリケットという競技を多くの人に知ってもらいたいと思っています。

私自身は今、野球で例えるとホームランにあたる「シックス」を沢山打てるバッティングスタイルと誰も打てないような球を投げることを目指して練習しています。早くこのスタイルを完成させ、「観ている人を魅了する、唯一無二のクリケット選手」になる事が今の目標です。
私という選手に興味を持ってもらい、競技への関心が高まることにつながれば嬉しいです。そして、全力でプレーする姿を子どもたちに見せて、勇気を与えられる選手になりたいと思います。

ほんの少しでいいんです。私と関わることで、少しでも「頑張ってみようかな」と思ってもらえたら嬉しいなと思っています。
これからも自分自身と向き合いながら唯一無二のクリケット選手になれるよう一人の人間としても成長していきたいと思います。

「一人の選手の登場で観客が沸く」そんな選手になりたいと思っています。

応援よろしくお願いします!

応援よろしくお願いします!

INFORMATION

Instagram:金田 紋佳 (@ayaka_kanada)
Facebook : Ayaka Kanada
メディア掲載記事:
金田紋佳 クリケット女子日本代表強化選手:中日新聞Web (chunichi.co.jp)
・月刊「健康づくり」P30.31kenkozukuri202311.pdf (health-net.or.jp) 2023.11体力・健康づくり財団発行 

日本クリケット協会ホームページ:Japan Cricket Association 日本クリケット協会

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