至学館の豆知識

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2025年6月

こどもの時間認識

 私たちおとなは、予定を覚えておくためや予定を立てるためにカレンダーや手帳を活用します。
 例えば、私は現在この原稿を執筆しています。締め切りは、〇月〇日です。 執筆依頼から締め切りまでの間にGWが入っていたので、GWまでに内容を決め、GW明けから執筆し、余裕をもって書きあげ校正を行うというように、年間イベントを予定を立てる際のマイルストーン的に使用したりもします。 年間イベントをこのように使用できるためには、そのイベントの時間的位置、すなわち日付の知識があることが必要になります。 おとなは、十分な時間認識を持っているので、このことが可能だと考えられます。
 それでは、こどもの時間認識とはどのようなものなのでしょうか。
 1999年に実施された、小学校1年生から5年生の合計32名を対象にした時間認識の発達についての調査では、こどもになじみの深いと考えられる年間イベント(成人の日、バレンタイン、ひな祭り、みどりの日、こどもの日、七夕、敬老の日、クリスマスなど)を知っているかどうかとそのイベントの日付が尋ねられました。
 「そのイベントを知っているか?」については、バレンタイン、ひな祭り、こどもの日、クリスマスについては90%以上のこどもが知っていると答えました。 とくに、クリスマスについては全員が知っていると答えました。
 次に、「そのイベントは何月何日か?」という質問には、100%のこどもが知っていると答えたクリスマスでも、日付を正しく答えられたのは35%しかいませんでした(こどもの日は35%、バレンタインは32名中1名のみ、ひな祭りは20%)。 すなわち、イベントを知っているからといって、日付まで理解しているとは限らない、つまりイベントの1年間における位置を理解しているわけではないということが明らかになりました。
 既知率の高かったクリスマスとこどもの日について、日付の理解、すなわち時間的位置の理解について詳しく検討したところ、こどもの日については、2年生と3年生の間に顕著な差があることが明らかになりました。 このことから、3年生以上でイベントの時間的位置が理解できることが示唆されました。
 私たちおとなは、ともすると私たちと同じように予定を立て行動することをこどもに期待しがちですが、そもそもの時間認識に上記のような違いがあることを考えると、こどもの時間認識の特徴に合った働きかけを行うことが望ましいと考えられます。 さらに、適切な働きかけをすることでこどもの時間認識の発達を促進することも可能になるでしょう。

発達心理学
健康科学部 こども健康・教育学科
教授 丸山 真名美


2025年5月

毎日100キロカロリー多く(少なく)食べ続けると・・・

 毎日100キロカロリー多く食べ続けると1年後はどうなるでしょうか? 身長と身体活動レベルは変わらないもの仮定しますと、1年間で36,500キロカロリーになります。 脂肪1gは9キロカロリーですから、このエネルギー量を脂肪のエネルギー量で割ると4,056gになります。 単純計算では体重(体脂肪)が約4 kg増えることになります。 実際には脂肪組織は純粋な脂肪以外も含みますので1gで7キロカロリーという数値を用います。 そうすると、5,214gとなり、約5 kg増えることになります。
 減量の場合も同じように毎日100キロカロリー少なく食べ続けると1年後には5 kg減ることになります。 さらに、筋肉量を増やすことができれば、消費エネルギーが高くなり、基礎代謝が上がり、さらに減量しやすくなります。
消費エネルギーには、基礎代謝、食後の熱産生、身体活動の3つがあります。 このうちの基礎代謝とは、体温維持、心拍や呼吸など、人が生きていくために最低限必要なエネルギーのことを言います。 生きているだけで消費されるエネルギーで、私たちが1日に消費するエネルギーのうち、約60%を占めています。
 脂肪を減らすにはエネルギー消費量が大切ですので、基礎代謝を上げること(筋肉量を増やすこと)がポイントの1つになります。
 ちなみに100キロカロリーの食品量は、ごはん65g、ロールパン40g(1個)、オレンジジュース220ml、豚ロース肉40g、カステラ32g、ミルクチョコレート18gなどになりますので、食べる量を少しだけ増減して、続けていけると増量・減量ができます。

臨床栄養学
健康科学部 栄養科学科
教授 井上 啓子


2025年4月

視覚におけるスポーツ的〈意味〉の共有化

 スポーツは実践の対象ですが、その実践からスポーツについて考えることもできます。 その際に着目すべきは、スポーツ独自の〈意味〉です。 なぜならば、それらが各スポーツを特徴づけているからです。 例えば、サッカーにおいては、野球には存在しない〈オフサイド〉などがあります。 また、野球においては、サッカーには存在しない〈タッチアップ〉などがあります。 これらをスポーツ的〈意味〉と名付けることができます。 競技が成立するためには、このスポーツ的〈意味〉を「私」個人と対戦相手である「他者」が視覚において共有する必要があります。 ここでは、この点について考えてみたいと思います。
 まずは、先に述べたタッチアップを例にしてみます。 「私」のチームが攻撃側であり、1アウト、3塁の場面で「私」が3塁ランナー、「他者」である皆さんは守備側チームとして外野を守っている場面を想定してください。 さて、その場面において外野方向に飛んだ特定の打球は〈タッチアップ〉可能なボールとして判断されることになります。 この〈タッチアップ〉は野球独自の意味であるだけでなく、「私」および「他者」である皆さんの知覚において共有化されています。 これに対し、野球を知らない文化圏の人々にはそのボールはどのように知覚されるでしょうか。 それらの人々も打球の高さや速さなどを知覚することはできますが、それをタッチアップ可能なボールとして知覚することはできないでしょう。 つまり、野球の競技形態の一つであるタッチアップをめぐる攻防が成立するためには、「私」と「他者」である皆さんが特定のボールを〈タッチアップ〉可能なボールとして判断する視覚を共有することが必要になります。
 このように、スポーツにおいては互いの競技者がスポーツ的〈意味〉を視覚において共有化しているという点に着目することにより、競技者の実践からスポーツについて考えることが可能です。

スポーツ文化論
健康科学部 健康スポーツ科学科
准教授 河野 清司